自衛軍を明記(自民党新憲法起草委員会)新憲法草案
「自衛軍を明記(自民党新憲法起草委員会)新憲法草案」に関連するブログ記事から興味深いものを選んでみました。ぜひ、読み比べてみてください。
=2005年10月15日収集分=
*西ゼミ:自衛隊
とにかく簡単にいうと自衛隊ってすごく日本にとって必要で、結局は軍隊。自衛軍やわ。
http://blog.livedoor.jp/myster_nishizemi/archives/50120169.html
*俺がやる地方分権:憲法改正
戦争放棄を消したとしても良識の範囲内での自衛、軍隊活動にしてほしいと思う
http://blog.livedoor.jp/sekine_kazuya/archives/50195537.html
*言葉の草分け:「戦争ってなんや」
そもそもアメリカの武力で国を作り上げる方針が俺は間違いと思うもんね。
http://blog.goo.ne.jp/kotobanokusawake/e/7efa59565ce0a821032c73ff0d7cc3a6
*ゲイリーマンのカミングアウト的思考:愛国心と憲法改正って・・
国防の義務なんぞと憲法に書かれたら、それは国民自身の誓いのようなものだ。
http://blog.goo.ne.jp/pet-shop/e/8c00725eec1757b600bb549820a7f681
*デス日報:新宿から世界へ
自衛軍は低所得者、低学歴者、ヤンキー、フリーターの受け皿となるのか。
http://zunou.exblog.jp/1412178
*Mizunoto Note:憲法改正まとめと雑感
やはり、最初に目に付くのは自衛隊の憲法編入に伴う「軍隊」化ですね。
http://blog.livedoor.jp/mizunoto1/archives/50108278.html
*平和憲法の『愛』を伝えよう:平和憲法の『愛』
60年前の戦争で、約300万人の日本人が犠牲になりました。しかし、日本人は
http://love-japan.at.webry.info/200510/article_2.html
*RESTART: 憲法改正草案
戦争は放棄してても戦闘に参加 矛盾してる気もしないでもないけどなぁ。
http://purple-moon.seesaa.net/article/8085473.html
*Watermark:『映画 日本国憲法』連続トークショー・ルポ
具体的にどういう意味をもっているのだろうか、考えないとだめです。
http://d.hatena.ne.jp/umkaji/20051014#p1
*状況開始:憲法改正論議について
そうなったら階級呼称も変わるのかな?陸士長は兵長かな?
http://blog.goo.ne.jp/yozakra10med/e/c4b7094415437f1f8b53a1470330a3db
*社会派DS - 現実的に
憲法改正を理解してもらうには、表現をいじらずに実利を重視することが必要だと
http://d.hatena.ne.jp/dslender/20051015#p2
*stardustdreamerの日記
「何でもできる」正規軍への意向を狙ったものだということを再認識しました。
http://d.hatena.ne.jp/stardustdreamer/20051014#1129314808
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カテゴリー:004憲法改正論議 | 投稿者 xbheadjp : 2005年10月15日 20:45
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» 憲法9条は世界の理想 自民党の新憲法草案でちょっと考える from 三途の川の手前より2
自民党の新憲法草案が決定したそうです。今までもいろいろと報道されていましたが、やはり(当然と言うべきか)戦力不保持をうたった9条2項は削除して、「自衛軍を保持... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2005年10月30日 06:07
» 自民党新憲法起草委員会の新憲鞭隶〓 from 焼津半次の俺の番だ!
自由民主党という政党はどうなってしまったのだろうか? 戦後政治の総決算でもしようというのだろうか? 自らを律する事もできない連中が今更憲満正でもあるまい。 まあ... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2005年10月30日 21:13
» 憲法改正〜最高法規・結びに from ほそかわ・かずひこの BLOG
連載の最終回となった。
第十一章「最高法規」に、昭和憲法は、以下の三条を設けていた。
――――――――――――――――――――――――――――――
... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年01月11日 16:59
■コメント
自民党憲法改正大綱案骨子を発表
2005/10/30
評者 窪田 明
2005年10月28日に、連立小泉内閣の第一与党である自由民主党が、「党憲法草案」を決定しそして発表した。 長年に亘って日本の政治を勉強して来た者で、此の草案及び憲法改正作業自体に付いて、批評させて貰いたい。
多くのマスコミ等の発言でも判る如く、現行の日本憲法の場合には、憲法改正方式は、ハードルが高く、実際に憲法を最終的に改正する事は非常に難しい様だ。 現在提出された草案とかその他の案を、大変な時間を掛けて、より完全なものに磨きあげたとしても、その様な最後の作品が、最終的に、法的に、採択されない可能性は相当に高い。 個々の条文を一つずつ別個の形で、投票するのではなく、全憲法案を一票で包括的に投票して、改正する場合には、特に、其れが成功する可能性が少ない。 国会の両院とか国民の間に、提案された案の何処かの特定の一部に関して、非常に強い反対が出て来る可能性が高く、その結果、提案された全案が、全部そっくり否決される可能性はかなり高いと思う。 今の様な形で、憲法の改正を推し進めるとすると、いくら頑張っても、永遠に日本の現行憲法は改正されない可能性があると思う。
その様な成り行き想定に多少なりとも、現実的な価値が認められるとすれば、憲法改正に関して、全然別な戦術を研究開発し、そして、その一つとして、二段構えの方式を考え始めたらどうだろうか。 詰まり、最初の第一段階で、憲法の改正方式だけに付いて、そう言う限った形での憲法改正を行い、そして、第二の段階で、憲法の実質的内容を変えたらどうだろうか。
それから、現行の憲法改正方式は、単に、ハードルが高いと言うだけでなく、その内容的な面でも多少の欠陥がある。 その一つは、国会の二院に関する憲法の規定の改善である。 世界的には、一院制のかなり強い流れがあり、英国とかカナダは、現在、その方向に動いて居るが、今の日本の様に、第二院の三分の二の賛成が必要となる場合には、第二院の地位の縮小とか廃止を憲法案に取り入れる事は現実的に難しい。
それから、新しい憲法改正方法を一つの別個の憲法改正案として取り上げるとすれば、憲法作成特別全国代議員会議の制度の導入の構想はどうだろうか。 米国とかフランスの憲法は、特別の憲法採択の為の全国的代議員会議と言う形式を通して立案された。 理論的には、国会議員は、憲法改正と言った特別な目的の為に、全国的に選ばれている訳ではないのである。 一定の全国レベルでの総選挙とか参議院選挙で、憲法改正が、中心的な争点となる保証は、必ずしもないのである。
最後に、現在、日本には、憲法改正を恐れて居るとかひどく嫌っている選挙民が相当数存在する。 少なくとも、過去には、彼等は、大衆政治的にかなり大きな役割を果たして来た。 その様な政治人口の特質を考えて見ると、憲法改正は、短期的に、包括的に全部一度にやるのではなく、一条一条別個に投票すると言う形で、時間を掛けて、注意深く慎重に進める事が望ましいかもしれない。 1960年の安保闘争からは、随分時間がたったが、やはり、あのような大騒動は、健全な民主主義の発展の為には、それ程貢献しないかもしれない。 日本の一般的な高齢化に伴ない、日本は、静穏な高質な福祉社会の建設をめざすべきではないか。
以上
投稿者 窪田 明 : 2005年11月03日 22:46
「証拠がない」と言う事
窪田 明著
2005・11・06
最近、真珠湾攻撃に付いての小冊子を出版した。 其のお陰で、日本の多くに真珠湾攻撃研究者と意見を交換する機会があった。 多くの方々がご存知の様に、日本では、真珠湾攻撃陰謀説を支持する研究家は、比較的少ない。 此処で、陰謀説とは、「ルーズベルトが、本当は、事前に知って居たが、知らない振りをして、日本軍に攻撃させた」と言う歴史的な説明である。 米国の職業軍人などでも、此の陰謀説を支持する人も居る。
此れに対して、日本の多くの研究家で、そして、特に、著名な大学に関係された人々で、其の様な説を熱心に主張する人は殆ど居ない。 日本側には、「米国で、何故陰謀説がそれ程人気があるのか」と不思議がる人も多い。 そして、その様な日本の研究家の一部は、陰謀説を支持する「証拠は全然存在しない。」ときっぱり主張される。 相当自信が有る様である。 ただ、問題は、筆者にとっては、その「証拠が存在しない」と言う表現の正確な意味がなかなか掴めなかった事だ。 証拠と言っても色々な形のものがあるであろうし、強い証拠もあろうし、弱い証拠もあろうし、直接的な証拠もあろうし、間接的な証拠もあろうし、それが全然全く存在しないと言う事は、なかなか理解できなかった。 特に、完全に否定し難いものは、米国連邦警察(FBI)長官のJ. Edgar Hoover の口頭で数回に亘って残した「Rooseveltは事前に日本の攻撃を知っていた」と言う伝達であった(今野勉著「真珠湾奇襲・ルーズベルトは知っていたか」参照)。
日本で書かれた多くの真珠湾攻撃に関する本で、単に、一行的に、「証拠はない」と述べるものは多く、其の逆に、その正確な意味を丁寧に数頁に亘って説明するものは少ない。 しかし、筆者が、時間を掛けて、多くの真珠湾攻撃の研究家と文通したり、対話しながら段々分かって来た事であるが、どうやら、「証拠は存在しない」と主張する多くの場合に、「若し、本格的な裁判をしたとしたら、完全に立証出来る様な強い証拠は存在しない」と言う総合的な判断らしいと言う事だ。 そして、何故、その様な法的な厳格な立証基準を予想又は必要として居るのかと言うと、どうやら、此の攻撃直後の最初の一番正式な組織的な捜査というか調査が、米国連邦議会が行ったものであって、その場合に、多くの法律家などを含み、基本的に「法廷」手続的なものであったと言う事のよるらしい。 それ以降、どうやら、多くの研究者の知的な作業の基本的想定が、法廷手続き的なものと、無意識的に決まったらしく、そして、日本の真珠湾攻撃専門家も、或は、此の知的な伝統を忠実に受け継いでいるのかもしれないと言うものであった。
ただ、真珠湾攻撃の真相の研究は、基本的に、歴史的研究であって、個人に関しての刑事的、民事的その他の形の責任追及の問題ではない。 従って、「後者に適用すべき法的な手続きを、前者の場合に、全く同じ様に、適用すべきか否か」と言う問題は、どうしても残る。 人間の個人の問題と異なり、歴史的事件の場合には、本質的に、基本的人権擁護の問題は起らない。 一般に、歴史研究で、証拠を審査し、評価する場合に、裁判で、法廷で扱うような形の手続を採用しない。 歴史研究は、法廷審査の様な大量の時間をかけた高価なものではない。 そして、米国の議会が歴史事件を取り扱い評価して来た場合に、必ずしも、何時でも、真珠湾攻撃の場合の様に、徹底した形で、調査、審査して来ては居ない様だ。 ベトナム戦争のトンキン湾事件に関しては、米国の議会は、二度に亘って、審査して居り、その二度目には、「ベトナム側からの攻撃は、実は、起こらなかった」と言う結論を出して居る。 そして、後者の場合に、筆者の記憶に間違いが無ければ、其の使われた手続き過程は、極めて、簡単なものであった。
2005年の今日、米国では、2003年イラク戦争着手当時、米国政府の最高レベルで、開戦の必要性に関しての基礎情報が、人工的に操作されたか捏造されたと言う判断が常識化しつつある。 それ以外でも、ウオーター・ゲート事件その他で、米国政府の高官が、証拠の変造とか隠滅とかそれに似た行為を行った事は良く知られている。 真珠湾攻撃の場合は、その様な基本的な流れの例外なのであろうか。 真珠湾攻撃だけとかその他一部の歴史的事件に関しては、米国政府の高官は、100%全く正直に良心的に行動したと主張出来るのであろうか。
或は、「黒」かも知れないと言う形で、証拠を使って、公平に審査、評価して来て居ても、其の場合に、適用されるハードルを、始めから、必要以上に高い処に設置してしまうと、調査、捜査作業全体を必要以上に非現実的なものにしてしまわないか。 とすると、「黒」と言う結論を出すと言う現実的な確率を、始めから、殆ど零に近いものにしないか。
以上
投稿者 窪田 明 : 2005年11月07日 00:23