グリーンエコノミー異説/オルタナティブ経済論序説0

年頭にあたって、今まで頭の中でモヤモヤと漂っていたものをエントリーにまとめてみました。持続可能な生活を考える上で、何がしかの参考にして頂ければ幸いです。

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1)太陽の恩恵
今は昔、人類が環境に悪さをしていなかったころは、地球という生態系は、まさに持続可能な循環型社会だった。単純に考えてみれば、その状況において、おおかたのエネルギー源は太陽であることが判る。(地熱や潮力の恩恵も無視はできないものの。)植物が陽の光を浴びて光合成を行い、動物がその恵みを糧とすることで、食物連鎖が成り立つ。もちろんその排泄物や死骸が植物の成長に不可欠であってこその、循環でもある。この単純モデルを頭に描けば、地球環境に根源的な富をもたらしているのは、ほぼ植物であることが理解できるだろう。逆に言えば、黄金も貨幣も、それは人々が勝手に兌換可能な相対的価値を、それらに与えているだけにすぎない。

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2)蓄財の起源
古代の人が農耕という生産手段を身につけた時、そこに備蓄という知恵が生まれた。すなわち秋の実りを貯えておけば、冬の飢えを凌ぐことができ、その種を食べ尽くさずに春に播けば、また秋の収穫が期待できる。さらに将来を見越した貯えがあれば、凶作や飢饉の備えともなる。つまりは、自然の循環から溢れる植物の繁殖力の余剰が、地上における豊さの源泉に他ならない。
マズローによれば、人は安全が確保され、衣食が足りて認め合う仲間ができると、尊敬を得たいという欲求に駆られるという。原始社会の長たちも、たぶんその段階で、富を誇示する境遇に至ったのであろう。彼らは希少なもの、光り輝くものに相対的価値を見いだし、弱者から労働力を搾取することで、あるいは立派な墓を建て、あるいは軍備を増強し、或いは城を築いて支配権の拡大を目指した。その権力の根底に食糧の備蓄があったことは、想像に難くない。

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3)資本主義成立の内幕
大航海時代に、海の彼方に無限の可能性を秘めた未開の土地が発見され、リスク回避のための利子や株式の制度が整うと、時の権力者たちは資金を調達し、船団を設えて新大陸へ繰り出しては、交易、はまだしも略奪、植民地化、奴隷の売買までをも手掛けて、富の集中を競った。その構図は、列強国の市場だけを切り分けてみれば利益が利益を招くオールサム社会での経済成長にも思えるが、世界規模で押し並べて考えれば、新大陸で植物が育み、原住民が貯えてきた富を、力ずくで収奪しただけと看做すこともできる。

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4)高度経済成長のカラクリ
産業革命が普及し、化石燃料が発掘されると、先進国ではGDPが飛躍的に膨張し、一般消費者までもが経済成長の恩恵を受け、快適で便利な生活を当たり前のように享受できるようになった。特に日本では第一次産業従事者が時代遅れのように軽んじられ、第二次産業から第三次産業へと労働力が移行して、大量生産大量消費が持て囃された。それは同時に大量廃棄による環境破壊を招き、気候変動までもを引き起こしてしまった。
しかもその裏を返せば、今までの経済成長は安く手に入った化石エネルギーの浪費で賄われており、それは太古の時代に植物が太陽から得ていた恵みの集積に他ならない。要は近代から現代に掛けての経済成長もまた、富の絶対量を飛躍的に増大させたとは言い難く、地下資源が有限である以上、その成長に限界があるのは、必然としかいいようがない。

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5)原子力発電の虚構
そんな状況で、原子力発電が植物由来ではない夢のエネルギーに思えたのは、必ずしも悪意があってのこととは思えない。ピークオイルが現実に迫る中では、尚更といえる。しかしその期待は東日本大震災に伴って発生した福島第1原子力発電所の事故で、脆くも崩れ去った。そもそも原発は、今の浪費経済を支えるために、放射能廃棄物処理のエネルギー負担を未来永劫、後世の子孫に押し付けるだけの、前借りの枠組みではないのか。現世代が一時の快適便利を得るため、汚れた物質を吐き出し続けて良いのか。単純にエネルギー効率から考えても、割に合う行為だとは思えまい。

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6)自然エネルギーの限界
一方で、太陽光や風力に期待する向きも多いが、いわゆるグリーンニューディールでどれだけの経済発展が可能であろうか。そもそも再生可能系の発電においてそのエネルギーの投入対効果(EPR)は、自噴する石油採掘が1対100であったとしたら、せいぜい一桁台であろう。その程度の効率で投資を煽っても、やがては萎むバブルを膨らませるのが関の山と思われる。事実、オバマ大統領が唱えた政策は、雇用の確保さえままならないと聞く。つまりはピークオイルが現実に迫る今、欲望が欲望を掻き立て、投資が投資を招く。それだけの富をひねり出す錬金術は、もはや存在しないと悟るべきなのではないか。

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7)グリーンエコノミーの原点
以上、もういちど整理すれば、地球上で生産される富はその大部分は植物が担っている余剰繁殖力に依存しており、世界規模での富の蓄積は、絶対的価値観の視点から見れば、その限界を超えることはできない。巨万に及ぶ銀行口座残高も高度に発達した都市機能も資源枯渇、気候変動、人口爆発が招くであろう食料危機には、何の足しにもならないのだ。万物の霊長たる人類といえども、マルサスが見破った罠の枠組みの中で、富を分かち合い、希望を紡ぎ出す以外に、持続可能な循環型社会に軟着陸するシナリオはあり得ない。グリーンエコノミーを考えるうえでの原点は、ある意味「マルサスの罠」にあるといえるに違いない。

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カテゴリー:オルタナティブ経済論序説 | 投稿者 xbheadjp : 2012年01月04日 17:00